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「奇跡的治癒」と「食」の関係とは?

みなさま、こんにちは。

9月16日発売の「ゆほびか」さん11月号は、「食べ方」特集です。

その中で低血糖症のお話をさせていただいています。

書店で見かけましたら、お手に取ってご覧いただければ嬉しいです。


さて、この号の巻頭インタビューで、食事で末期の卵巣がんを治された高遠智子さんのお話が載っていました。

食べものだけで余命3か月のガンが消えた」という本をお書きになっている方です。

私はまだ拝読していないのですが、表紙の素敵な笑顔が印象的で、お読みになった方も多いかもしれません。

その高遠さんのインタビューを読んで感じたことをシェアしますね。

高遠さんは子どもの時にお母様が亡くなられ、義理のお母様はあまり食事を作らず、ネグレクトのような状態だったそうです。

その後、摂食障害も患ったそうです。

おそらくかなりの栄養失調でいらしたでしょう、20代の若さで卵巣がんが発覚。

闘病の末、余命3か月と宣告された後、車いすで訪ねたフランスで、食についての劇的な体験をされました。

それから料理学校に通い始め、中医薬膳師の免許もとり、詳しい経過は書いていないのでわかりませんが、末期がんから生還したそうです。

詳しくはゆほびかさんの記事をお読みになっていただきたいのですが、かなりドラマティックなインタビューでした。


私がこのインタビューを読んで感じたのは、食べるということの意味の深さでした。

食事で何が大切かというと、栄養の重要性はいうまでもありません。

でも食事の意味はそれだけではありませんよね。

ひとつには食卓を囲んで行うコミュニケーションの意味あいもあります。


また、食べものを食べる、ということは「愛を受け取る」ことでもあります。


(以下から☆までは、経験からくる私の考えであり、高遠さんとは直接関係ありませんので、ご了承くださいね)


私の経験上、摂食障害や、食べているのに消化吸収が悪くて栄養失調、という方の多くは、愛を受け取る方法を知りません。

親から虐待を受けた方などにこれは多いですね。

虐待などの経験をすると、「愛の定義」がとても偏ったものになってしまいます。

愛が本来の愛の定義ではなく、「痛い」ものや、「つらくて苦しい」ものになってしまうのです。

だから受け取りたくない。

無意識に、「受け取り拒否」してしまうんですね。

子どもにとって「親が与えてくれる食べもの」と「親の愛」はほぼ同義なので、(食べもの自体の良し悪しはさておくとして)、愛を受け取れないと、食べものや栄養も受け取れなくなってしまうのです。


そして、親に正しく愛や栄養を与えられずに育てられると、自己価値も下がってしまいます。

つまり、

愛を受け取りたくない

かつ

自分には愛を受け取る価値がない

という思い込みを持った人になってしまうわけです。


それは摂食障害のように、実際に食べないことだったり、食べても吐いてしまったり、なぜか体に悪いものばかり食べてしまう、という行動として表れます。

これが、健康面だけではなく、その後の人生全般にかなり影響を及ぼすであろうことは、簡単に想像できますよね。

(☆ここまで)


インタビューを拝見する限り、おそらく高遠さんは子どもの時に、愛を十分与えられた、と感じることができなかったのではないか、と思います。

その結果、食べることにかなり無頓着でいらっしゃったのでは、と思います。


そんな高遠さんが、自分の命もあとわずか、というタイミングになり、ある食べものを通して、「生命力を呼び覚まされた」というほどの劇的な体験をされたのです。

その体験を通して食に目覚めた高遠さんが、その後がんを克服されたのは、前述したとおりです。


余命3か月と言われた末期がんから生還するーーー。

これはいわゆる「奇跡的治癒」といわれるものだと思います。


この体験を読んで、「がんを治すにはやっぱり食事だ!」という風に捉えることもできるでしょう。

私 はまだご著書を拝読していないので、そのあたりのメッセージの内容はわからないのですが、この体験談を読まれた方が、「そうか、やっぱり食事よね!」と 思って、高遠さんと同じものを食べて、はたしてそれだけでがんが治るか?というと、必ずしもそうではない気がします(もちろん食事は大切ですし、素晴らし いことだと思いますが)。


「体に良い食べものを食べる」という行為や栄養をとるということがもっとも重要なのではなく、食べることを通して高遠さんが何を体験されたのか?ということが重要なのだと思います。

私は、食べものを通して高遠さんは「愛を受け取る」という体験をなさったのではないか、と思います。

おそらく、生まれて初めての体験でいらっしゃったのではないかと推測します。


それは、「親の愛」とか「自己愛」などを超えた、もっと大きな愛だと思います。

では、いったいそれは何の愛なのか?

こういうと、ちょっと宗教的に聞こえるかもしれませんが、私は「神の愛」だと思います。


本来それは特別なものではなく、誰でも心の内側に持っているものです。

それを、生命エネルギーとか、自然治癒力といってもいいと思います。

それまで高遠さんの内側に眠っていたそれが、食べものによって呼びさまされたのです。

おそらく食べものを通して、高遠さんは初めて「愛されている!」と感じられたのではないでしょうか。

食べものは、その起動スイッチだったのだと思います。

それが、末期がんの奇跡的治癒ということにつながったのではないでしょうか。


この3次元の世界における「体というもの」の仕組みと、「食べるということ」の仕組み。

かなり深いものがあります。

栄養学は、それをひとつの方面から見ただけのものに過ぎません。

その仕組みを使って何を学んでいるのか?

それが重要ではないかと思います。

究極的には、愛すること、そして愛されること、のような気がします。


だから、低血糖についていろいろしゃべっておいて何なんですが、本当には、何を食べなきゃいけないとか、逆に食べてはいけないとか、絶対的なことってないと思うのですね。

もちろん肉体的なレベルではいろいろな食事法があるかもしれませんが、本当に重要なことはそれを超えたところにあるのではないかと思います。

それをわかったうえで、自分を愛するという意味で、体に合った食事をする、感謝して美味しくいただく、ということが大切ではないかと思います。


長くなってしまいました・・・

お読みいただきありがとうございます。


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